梅の花が満開だった。
このみちゃんは角隠しをかぶらされているにもかかわらずどんな衣装でも即座に自分のものにして着こなしてしまい、ポーズも自在であった。
しかしへこき嫁ごが屁をひる際の、あの柔和な腰つきと誇らしげな尻のラインは
さすがのこのみちゃんでもかなりの難易度だったようで、
しつこく繰り返し何度も同じポーズを要求して、ようやく満足のいく
「わたしたちのへこき嫁」をグラビアにおさめることができた。
どこへゆくともなくゆきついた先の石神井公園では、気の早い花見客でいっぱい。
茶屋でラーメンとおでんとビールを注文し、4人で分けあった。
まだ少し肌寒く、わたしは花粉がひどくてマスクと眼鏡をずらし
顔をぬぐいながらおでんをかじった。鼻がつまっていたので味はまったくわからない。
双子の少年が鏡合わせで行儀よくラーメンをすすっていた。
その時ボリが撮った写真は一部ここで見られます。
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それから20日後の3月26日。
たった数日のあいだに自分も世界もすっかり変わってしまったような面持ちでわたしたちは再会することができた。
「屁」を拠りどころにしてきたわたしたちだったが、「屁」でのんきに笑ったりするのは当分できそうもなかった。
ボリが撮ったへこき嫁グラビア写真を眺めながら、ほんの2週間前の自分たちがもう永遠に引き返せないところに来てしまったような気がした。
いや、そんなことはない。、と思いなおそうと「今、へこき嫁ごが参ります」と写真にコピーを添えてみた。
出来もしないことを書いていると思った。
無責任なことはわかっていながらも、むしょうに誰ともない誰かに向けて、「大丈夫!」と強く肯定するような手紙を書いてみたくなった。
まるで自分の映画の公開を待っている大勢のファンにむけて手紙をしたためる大女優であるかのように。書き出しは「親愛なる皆さまへ。」
昔お正月に吉永小百合から直筆の年賀状が自宅に届き、びっくりした時のことを思い出して。
(※吉永さんからの年賀状だと思ったのは郵便局のPRだった)
ちっとも大丈夫じゃない状態だけど、無責任に大丈夫!っていうべきな気がした。
1年たって今日は2012年の3月6日。
「今、へこき嫁ごが参ります。」と書いたものの
まだ、彼女はわたしのところへ現れません。
おならzineも次号を出せず、いつか出る2号を期待して”おならのおならの間”号を細々とつづるしかありませんでした。
しかし、近いうちにいつかきっと、不意にプウッと現れるのでしょう。
現れればたちどころに周囲の人々たちを強引に弛緩させてしまうあのコメディエンヌは
もう、すぐそこまで来ているのかもしれない。
「今」というのは自分が思っている「今」とは違う、もっと爆発的に広い意味の意味の「今」かもしれない。
今は時間があるところすべてにあるのだから。
それは2ヶ月後かもしれないし、3年後かもしれない、10年後かもしれない。
わたしが死んだ遠い先の未来のどこかかかもしれない。
いやもしくは昨日だったかもしれないし、小学生だった頃の20年前かもしれない。
未来も過去もどちらにも等しく、差別しないで期待して。
いままで生きた、そしてこれから生きていく、どこにでも、
生きていさえすれば、どこにでも、
へこき嫁ごはプププと現れるのでしょうよ。
わたし、言ってることシリメツレツ(屁だけに)のめちゃくちゃだな、
と思いながら”Enter”を押す。
2012年3月6日(日)cottonkyaori