2010年10月10日、埼京線でジャズのようにとうとつに結成されたおなら系3人組“=3=3=3”の活動メモがここに記録されてゆきます。主な活動内容はおならzine制作、ファンシーテロなど。
“=3=3=3”の読み方は「プププ」でよろしくどうぞ。
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春の嵐の夜の手品師
明日はこちらに参加しようと思います。
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3.11東京大行進
-追悼と脱原発への誓いを新たに-

日時:2012年3月11日(日)
集会開始:14:00 黙祷:14:46 デモ出発:15:00(※少雨決行)
集合場所:日比谷公園中幸門(日比谷公会堂裏)
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知り合いの方、そうじゃない方も、お会いできたらうれしいです。
生きている人々の顔や話すこと。どんな人生を望み、どんな未来を残していきたいか。
生きている人々と一緒に歩きたいです。

手品師なんていないことはよく知っているし、明日一日ですべてが魔法のように変わることはきっとない。
だからこそ。
よろしければご一緒しましょうね。





むかし私はバレリーナ

だから 心のドレスが今も揺れてる


今はひとり

いつもあてなし

春の嵐の夜の手品師


私の心の

誰にも見せない青い小箱 

だから今はなにも云わず 

じっと抱きしめて


明日は全てが判るもの

あなたが夢見た全てのものが





あがた森魚「永遠の遠国の歌」より
「春の嵐の夜の手品師」



1年前のわたしたち


今日は去年の、1年前のわたしたちを思い出してみる。
2011年の3月6日はちょうど日曜日だった。
自作した角隠しを携えて、このみちゃんをモデルにひっぱりだし
このみちゃんちの近所をぶらぶら歩きながら、へこき嫁グラビアを撮影していた。
もちろんカメラマンはおなら写真家・ボリ。

■わたしのtwilog 2011年3月6日(日)

梅の花が満開だった。
このみちゃんは角隠しをかぶらされているにもかかわらずどんな衣装でも即座に自分のものにして着こなしてしまい、ポーズも自在であった。
しかしへこき嫁ごが屁をひる際の、あの柔和な腰つきと誇らしげな尻のラインは
さすがのこのみちゃんでもかなりの難易度だったようで、
しつこく繰り返し何度も同じポーズを要求して、ようやく満足のいく
「わたしたちのへこき嫁」をグラビアにおさめることができた。

どこへゆくともなくゆきついた先の石神井公園では、気の早い花見客でいっぱい。
茶屋でラーメンとおでんとビールを注文し、4人で分けあった。
まだ少し肌寒く、わたしは花粉がひどくてマスクと眼鏡をずらし
顔をぬぐいながらおでんをかじった。鼻がつまっていたので味はまったくわからない。
双子の少年が鏡合わせで行儀よくラーメンをすすっていた。



その時ボリが撮った写真は一部ここで見られます。
2011-03-06


それから20日後の3月26日。
たった数日のあいだに自分も世界もすっかり変わってしまったような面持ちでわたしたちは再会することができた。
「屁」を拠りどころにしてきたわたしたちだったが、「屁」でのんきに笑ったりするのは当分できそうもなかった。
ボリが撮ったへこき嫁グラビア写真を眺めながら、ほんの2週間前の自分たちがもう永遠に引き返せないところに来てしまったような気がした。
いや、そんなことはない。、と思いなおそうと「今、へこき嫁ごが参ります」と写真にコピーを添えてみた。
出来もしないことを書いていると思った。

無責任なことはわかっていながらも、むしょうに誰ともない誰かに向けて、「大丈夫!」と強く肯定するような手紙を書いてみたくなった。
まるで自分の映画の公開を待っている大勢のファンにむけて手紙をしたためる大女優であるかのように。書き出しは「親愛なる皆さまへ。」
昔お正月に吉永小百合から直筆の年賀状が自宅に届き、びっくりした時のことを思い出して。
(※吉永さんからの年賀状だと思ったのは郵便局のPRだった)
ちっとも大丈夫じゃない状態だけど、無責任に大丈夫!っていうべきな気がした。


1年たって今日は2012年の3月6日。
「今、へこき嫁ごが参ります。」と書いたものの
まだ、彼女はわたしのところへ現れません。
おならzineも次号を出せず、いつか出る2号を期待して”おならのおならの間”号を細々とつづるしかありませんでした。
しかし、近いうちにいつかきっと、不意にプウッと現れるのでしょう。

現れればたちどころに周囲の人々たちを強引に弛緩させてしまうあのコメディエンヌは
もう、すぐそこまで来ているのかもしれない。
「今」というのは自分が思っている「今」とは違う、もっと爆発的に広い意味の意味の「今」かもしれない。
今は時間があるところすべてにあるのだから。
それは2ヶ月後かもしれないし、3年後かもしれない、10年後かもしれない。
わたしが死んだ遠い先の未来のどこかかかもしれない。
いやもしくは昨日だったかもしれないし、小学生だった頃の20年前かもしれない。
未来も過去もどちらにも等しく、差別しないで期待して。
いままで生きた、そしてこれから生きていく、どこにでも、
生きていさえすれば、どこにでも、
へこき嫁ごはプププと現れるのでしょうよ。





わたし、言ってることシリメツレツ(屁だけに)のめちゃくちゃだな、
と思いながら”Enter”を押す。
2012年3月6日(日)cottonkyaori