2010年10月10日、埼京線でジャズのようにとうとつに結成されたおなら系3人組“=3=3=3”の活動メモがここに記録されてゆきます。主な活動内容はおならzine制作、ファンシーテロなど。
“=3=3=3”の読み方は「プププ」でよろしくどうぞ。
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\(^o^)/ コットンカオの道頓堀案内

¥ コットンカオの大阪案内 /




道頓堀のすぐ近く。御堂筋をひょいっと入ったところにある「かやくご飯」屋さん。
(大阪では炊き込みご飯をこう呼ぶ)

具は細かく刻んだごぼうとこんにゃくとおあげといたってシンプル。
ダシのうまみが口の中にふわっとひろがると、それだけでほっとするのは日本で生まれ育ったからなのだろうか。
なにかとてもやさしいものに包まれた気持ちになるのである。
もしボロボロに傷ついて、ヨロヨロしてる日は、
あわてず騒がず、またここに来ようと思う。
会社のちかくにこんなお店があるなんて、お守りみたいダナ。
湯治場カンカクでまた来たい。

 




あとかす汁のすんばらしさも筆舌に尽くしがたく。
暫定人生ベストのかす汁の座を進呈させていただきたいほど、衝撃を受けた。
一瞬古漬けみたいな酸味がふわっと香ったあと、訪れる
麹の独特な風味とダシが合わさった、あったかいその汁気だけでもたまらない。
白い汁の中に赤みの強い京人参やこんにゃく、ごぼうが浮かびんでいるが、
いないと思ってた魚のあらを箸の先が探り当てたときのときめきは
一体何と表現したらよいのだろう。




なんばグランド花月で茂造じいさんの座長公演みて、純喫茶アメリカンでホットケーキ食べて、
スタンダードブックストア心斎橋でウロウロしたあと、最後ここ大黒で一杯飲みながらごはんでしめ。
という黄金の道頓堀ツアーが出来上がりました。ベタだけどきっと最高だと思います。


☆おまけ

 

洗濯機の内と外





台風がきている!!!!!
いま、ここに!!!!!





たくさんの洗濯物を抱え傘をさして玄関に立ちつくす


(洗濯機は外にある)


真夜中に洗濯とはなんて近所迷惑かとおもうけど、こんなに雨が激しく降っているのだから今日はきっと無礼講。こちらの騒音は嵐の中にかき消されてゆくのみ。



柔軟剤入りの洗剤をスプーンですくう腕が横なぐりの雨に濡らされて
傘をさすことにもう意味なんてないことに気がついた
なまあたたかい風に背中おされて見守った
洗剤のひと粒ひと粒がスローモーションで反射しながら洗濯物のうえに優しく降りる時間
とっても静かなこの世の時間



スタートボタンを押すと洗濯機は舟になり〈ノアの箱舟クリーニン号〉として青天の霹靂をめざし紆余曲折の航海にでる。
ありったけの旅支度を抱えて急いでわたしも舟に乗り込んだ。
スカイブルーの小窓から外の世界をのぞいてみると
ハンカチや靴下、ブラジャー、Tシャツ、スカートなどわたしたった一人に帰属するそれらの持ち物たちは洪水のなかでカラフルにクルクルと回転しながら踊っていた。
えーと万華鏡って知ってるかな?さしずめあんな感じ。


ふと視線を覗いていた窓から目を離してみると、
現実のわたしはびしょぬれで
さかさになった傘は2メートル先に転がっている



洗濯機の中の洪水とその外にどんな違いがあるのだろうか(いやない)



上も下も関係ない
右も左も 天と地も 大人も子供も 男も女も
もうあまり関係がない 
わたしがわたしであることもなんだかうまく思い出せない
全身ずぶぬれで 台風のなかに立っている
ただそこに居るということ以外はなにもわからない
息してるということしか感じられない
玄関前の廊下は水に沈み階段は滝となる
スプラッシュマウンテンの豪胆な魂ひとつ





洗濯機から出て
すべての洋服がからりと乾くころ
身体中の皮膚がむけ、ツヤツヤ光る玉虫色の新しい身体に生まれ変わる。
新しい心、新しい空気、新しい言葉、新しい夢。





育った星を泣きながら出て行かなければならない日がくるなんて
数年前の自分は想像できるかしら。













白楽の猫企画さん/へこき三良
ちーっす、コットンカオっす。
わたしたちのzineをお取り扱いしてくれるお店が増えました!
横浜・白楽の六角橋商店街にある「猫企画」さんでーす。
おならzine「PU」(vol.1&1.5)、築地市場落書きzine「築地tweets」をこちらのお店においていただいてます。
納品がてらちょいと遊びにいってきました。

奥さんがタイ古式マッサージ、旦那さんが古本を営んでいるユニークな形態で店内になぜかこたつがあったり、飲み物1杯200円とかで売っていたりする自由な感じのお店です。(夜はぜったい店でお客さんと飲んでいるとみた・・)


白楽へ行くのははじめてだったけど、すごく隙が多くてよい街ねぇ。
おかんアートばかりが集まった、まるでおかんのインフォショップという風情の店や、
ファンキーなレコード店・GOKURAKUレコード、フジコ・ヘミング似のおばさんが無言で給仕してくれる唯一無二の絶品なパキスタンカレー屋さん。喫茶店には坂田明似のおじさん。などなど。
ちょっとのぞこうとすればすべて丸見えになってしまいそうな、窓が豪快に開け放たれた銭湯もありました。ちらと覗いていた富士山の絵が鮮烈に目に残ってます。


▲ブロンクスにでも迷い込んだかのようなGOKURAKUレコード

この六角橋商店街は戦前からの歴史のある商店街で、昭和な匂いがいたるところに残っています。毎週第3土曜日に開催される「ドッキリ闇市」なるフリーマーケットも名物なのだそう。「野宿野郎」でおなじみのかとうちあきさん監修(?)による、商店街公認の”チャリティー野宿”なるみんなで寝袋で商店街の路上にねる野宿イベントもあったという。
その時の野宿に手ごたえを感じた商店街のえらい人が「この商店街のキラーコンテンツになる!」と豪語したとか。高円寺の北中通り商店街、素人の乱に似た匂いを感じる…
なにやらマヌケで懐の深い街!今度はドッキリ闇市に遊びにいってみよう。
あ、商店街プロレスっていうのもあるそうです。


▲白楽がスッカリ気に入った模様のカオス収集家・坑くん
「おばさんがパリにはまるとどうしてもデカダンが張り付くのよ」と謎の名言。


▲パキスタンカレー”サリサリ”の看板。水を一切使わず調味料は塩だけ。
HPもおもしろいからミテ!

▲これは何のことやらよくわからなかった謎掛け


= 3 = 3 = 3 = 3 = 3 = 3 = 3 = 3 = 3 

最後に猫企画店主・寺田さんが教えてくれた「へこき三良」というおなら絵本をご紹介します。

作・絵の儀間比呂志さんは那覇出身の版画・絵本作家で沖縄・戦争などをテーマとした作品をいくつも残している沖縄を代表するアーティスト。かなりシリアスな題材から沖縄の風土の美しさまで幅広い作品を生み出しています。

「へこき三良(さんらぁ)」は沖縄の民話には欠かせない精霊キジムナーと村人の三良(さんらあ)の交流のお話。
キジムナーは赤い肌のこどもの姿で、ガジュマルに住んでいて、魚の目玉と相撲が好物で、屁がキライ。どんな話なのかな??

▲儀間比呂志さん(via コマ撮り日記)

「この物語りとキジムナーの姿は、私が子どものころ母から聞いた話などをもとに、創作したものです。私のこの絵本から、キジムナーと貧しい島の百姓たちとの、あたたかい心のふれあいのなかに、きびしい孤島苦と、たびかさなる圧政のうちにもこのような愉快な妖怪をうみだした沖縄の人たちの、権力をオナラひとつで笑いとばすほどの、ふてぶてしい土俗的なユーモアを読みとってくだされば幸いです。」(作者あとがきより)

いっちゃぽーんと、さけた!



春の嵐の夜の手品師
明日はこちらに参加しようと思います。
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3.11東京大行進
-追悼と脱原発への誓いを新たに-

日時:2012年3月11日(日)
集会開始:14:00 黙祷:14:46 デモ出発:15:00(※少雨決行)
集合場所:日比谷公園中幸門(日比谷公会堂裏)
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知り合いの方、そうじゃない方も、お会いできたらうれしいです。
生きている人々の顔や話すこと。どんな人生を望み、どんな未来を残していきたいか。
生きている人々と一緒に歩きたいです。

手品師なんていないことはよく知っているし、明日一日ですべてが魔法のように変わることはきっとない。
だからこそ。
よろしければご一緒しましょうね。





むかし私はバレリーナ

だから 心のドレスが今も揺れてる


今はひとり

いつもあてなし

春の嵐の夜の手品師


私の心の

誰にも見せない青い小箱 

だから今はなにも云わず 

じっと抱きしめて


明日は全てが判るもの

あなたが夢見た全てのものが





あがた森魚「永遠の遠国の歌」より
「春の嵐の夜の手品師」



1年前のわたしたち


今日は去年の、1年前のわたしたちを思い出してみる。
2011年の3月6日はちょうど日曜日だった。
自作した角隠しを携えて、このみちゃんをモデルにひっぱりだし
このみちゃんちの近所をぶらぶら歩きながら、へこき嫁グラビアを撮影していた。
もちろんカメラマンはおなら写真家・ボリ。

■わたしのtwilog 2011年3月6日(日)

梅の花が満開だった。
このみちゃんは角隠しをかぶらされているにもかかわらずどんな衣装でも即座に自分のものにして着こなしてしまい、ポーズも自在であった。
しかしへこき嫁ごが屁をひる際の、あの柔和な腰つきと誇らしげな尻のラインは
さすがのこのみちゃんでもかなりの難易度だったようで、
しつこく繰り返し何度も同じポーズを要求して、ようやく満足のいく
「わたしたちのへこき嫁」をグラビアにおさめることができた。

どこへゆくともなくゆきついた先の石神井公園では、気の早い花見客でいっぱい。
茶屋でラーメンとおでんとビールを注文し、4人で分けあった。
まだ少し肌寒く、わたしは花粉がひどくてマスクと眼鏡をずらし
顔をぬぐいながらおでんをかじった。鼻がつまっていたので味はまったくわからない。
双子の少年が鏡合わせで行儀よくラーメンをすすっていた。



その時ボリが撮った写真は一部ここで見られます。
2011-03-06


それから20日後の3月26日。
たった数日のあいだに自分も世界もすっかり変わってしまったような面持ちでわたしたちは再会することができた。
「屁」を拠りどころにしてきたわたしたちだったが、「屁」でのんきに笑ったりするのは当分できそうもなかった。
ボリが撮ったへこき嫁グラビア写真を眺めながら、ほんの2週間前の自分たちがもう永遠に引き返せないところに来てしまったような気がした。
いや、そんなことはない。、と思いなおそうと「今、へこき嫁ごが参ります」と写真にコピーを添えてみた。
出来もしないことを書いていると思った。

無責任なことはわかっていながらも、むしょうに誰ともない誰かに向けて、「大丈夫!」と強く肯定するような手紙を書いてみたくなった。
まるで自分の映画の公開を待っている大勢のファンにむけて手紙をしたためる大女優であるかのように。書き出しは「親愛なる皆さまへ。」
昔お正月に吉永小百合から直筆の年賀状が自宅に届き、びっくりした時のことを思い出して。
(※吉永さんからの年賀状だと思ったのは郵便局のPRだった)
ちっとも大丈夫じゃない状態だけど、無責任に大丈夫!っていうべきな気がした。


1年たって今日は2012年の3月6日。
「今、へこき嫁ごが参ります。」と書いたものの
まだ、彼女はわたしのところへ現れません。
おならzineも次号を出せず、いつか出る2号を期待して”おならのおならの間”号を細々とつづるしかありませんでした。
しかし、近いうちにいつかきっと、不意にプウッと現れるのでしょう。

現れればたちどころに周囲の人々たちを強引に弛緩させてしまうあのコメディエンヌは
もう、すぐそこまで来ているのかもしれない。
「今」というのは自分が思っている「今」とは違う、もっと爆発的に広い意味の意味の「今」かもしれない。
今は時間があるところすべてにあるのだから。
それは2ヶ月後かもしれないし、3年後かもしれない、10年後かもしれない。
わたしが死んだ遠い先の未来のどこかかかもしれない。
いやもしくは昨日だったかもしれないし、小学生だった頃の20年前かもしれない。
未来も過去もどちらにも等しく、差別しないで期待して。
いままで生きた、そしてこれから生きていく、どこにでも、
生きていさえすれば、どこにでも、
へこき嫁ごはプププと現れるのでしょうよ。





わたし、言ってることシリメツレツ(屁だけに)のめちゃくちゃだな、
と思いながら”Enter”を押す。
2012年3月6日(日)cottonkyaori



[増刷&改良しました]zine「築地tweets」&次回「ぢぃ散歩」情報


ちょっとだけ改良して増刷いたしました。
改良点の目玉は、ZESTくん書き下ろしによる「築地tweet」の題字です。
「築地tweets」の表紙にて、無為自然な築地の壁と現役グラフィティライターのタグが競演中。
あと裏表紙にて、ターレー(通称・ターレーダビッドソン)を乗り回す築地ライター(推定)の肖像も。
いちだんと見やすくなった「築地tweets」をよろしくお願いします。

 

★下記にてお取り扱い中!

もしくはcottonkyao宛(pupupu.torio(at)gmail.com)に直接ご連絡を。



お散歩ワークショップ「ぢぃ散歩」4月初旬に開催予定!】
覆面ライター・Gぃ書き男(じぃかきお)ととともにディストピアTOKYOを見おさめレクイエムしながら歩くツアー「ぢぃ(G)散歩」、次回は4月初旬に開催予定です。
街のあちこちに書かれたさまざまなライターのサインやそのGRAFFITIスタイルを”ぢぃぢぃ”ことGぃさんが解説しながら、斜めがけバッグで元気にお散歩してまいります。もちろん買い食い、寄り道ありのゲリラ散歩です。
参加希望者随時募集中。
詳細は決まり次第またここでお伝えいたします。

「"ぢぃぢぃ"と一緒に春をみつけに行こう!」



ぢぃ散歩:TOKYO GRAFFITI SANPO
 

覆面ライター・Gぃ書き男(じぃかきお)ととともにディストピアTOKYOを見おさめレクイエムしながら歩くツアー「ぢぃ(G)散歩」を今週末2/11(土)に開催。
街のあちこちに書かれたさまざまなライターのサインやそのGRAFFITIスタイルを
”ぢぃぢぃ”ことGぃさんが解説しながら、斜めがけバッグで元気にお散歩してまいります。もちろん買い食い、寄り道ありのゲリラ散歩です。

Gぃさんと一緒にお散歩したい方、もし旅の道連れのご希望ありましたら、2/10(金)までに下記にご連絡ください。集合場所などをお伝えいたします。
pupupu.torio(at)gmail.com

またGぃさんへのメッセージや質問、Gぃさんにぜひ見てほしいGRAFFITIなども募集中。


【散歩人】覆面ライター・Gぃ書き男 a.k.a. ZEST
※写真はイメージです。

【随行アシスタント】ラメ子(=3=3=3)

企画・プロデュース:コットンカオリ
撮影:ヤイヤイユキ
制作:=3=3=3(プププ)/D.J.D.


乞うご期待!


【参加にあたっての諸注意】




先日、向ヶ丘遊園を散歩した際、はいったお好み焼き屋の大将がどさくさにまぎれて言い放った迷言。その結果、4人中2人がお腹をこわしました・・・。
「Gぃ散歩」にはある程度の危険が伴います。予めご了承の上、ご参加ください。


うたは何処で憶えた?

作曲家・林光さんが一昨日、80歳で亡くなられたそうです。
林さんの手による仕事は、小学校の音楽の授業で習った歌などそれと知らぬ間に私のなかに自然と慣れ親しんだものばかりですが、意識して音楽家・林光の存在を追うようになったのはごく最近のこと。
特に去年の8月は、林光さんの作曲した「原爆小景」から、原民喜の詩、66年前の人々がどんな気持ちで日々を送っていたのか。わたしたちの生まれる前にこの土地で暮らした先人たちがどうやって悲劇を乗り越えたのか、どうやって希望をみつけてきたのか、その表現にすがるような気持ちで見たり聞いたりした。(2011年8月6日にこの時考えたことを書いてます

昨年は偶然、林さんの運指がみれるくらいの距離でピアノ演奏を聞くことができた(三軒茶屋で粟津ケンさんがつくったスペース「KEN」で第五福竜丸関連のアートイベントが連日行われていた。
その後も林さんが主催する合唱団じゃがいものコンサートに足を運びましたが、体調不良で欠席されており、実際にお会いできたのはそのときの一度きりになっていましました。本当に幸運な時間だったなあと思います。

もう十分すぎるほど、たくさんのものをいただき、楽しい気持ちになったり、勇気を奮い起こしたりしてきたり、もらった火は確実に私のなかに燃え続けています。しかしやっぱり残念で仕方ありません。
林光さんのご冥福をお祈りして、個人的に思い入れのある林光さんの手がけた楽曲を紹介したいと思います。

林光さんの音楽は、胸先三寸にナイフをつきつけられて生きるか死ぬか即決を求められているような、そんな視座から振り返るように見た、人生の美しさ、豊かさが溢れているように感じます。
そこには孤独や悲しみで身体をいっぱいにしながらも、なんとかそこに起立して笑顔で歌を歌おうとする人間の崇高さがあります。
生きるということはつまり、歌うことなのですね。



■うた 作詞:佐藤信 作曲:林光

うたは何処で憶えた? 半分眠りながら憶えた
母さんの声が夢の戸口を開ける
潜り戸の向こう 明るい景色が見えた
坊やのお守りは何処へ行った?
あの山越えて 里越えて

うたは何処で憶えた? 教科書開いて憶えた
見知らぬ場所を風が吹いて行く
黒板の地図を書き写す船乗り達
なじかわ知らねど心わびて
昔の伝えぞ そぞろ身にしむ

うたは何処で憶えた? あいつ待ちながら憶えた
街は雨に濡れてアイスクリームが溶け
咥えた匙が途方に暮れて苦い
だから だから だから もう
恋なんかしたくない したくないのさ

うたは何処で憶えた? 涙流して憶えた
悲しみではなく 催涙ガスのせいで
微笑む死者は未だ弔うなと告げた
砦の上に我らの世界
築き固めよ 勇ましく

うたは何処で憶えた? 立ったままで憶えた
うたは何処で憶えた? 走りながら憶えた
うたは何処で憶えた? 石を投げながら憶えた
うたは何処で憶えた? 闘いを知って憶えた
うたは何処で憶えた? 闘いを知って憶えた
うたは何処で憶えた? 闘いを知って憶えた


■森は生きている
小学生の時に歌いました。教科書には載っていない歌をたくさん教えてくれる先生でした。
「音楽はね、音を楽しむのよ」と教えてくれた橋本美耶子先生、元気でいらっしゃるかしら。感動して音楽の授業でいつも涙を流していました。いつかお会いしたいです。


森は生きている 風だって雲だって
小川のせせらぎだって生きている
森は生きてる 氷に閉ざされた
待雪草だって生きている

森と空をわたしは見た
生きている者たちの笑う声 話す言葉
燃えている火よ あふれる力よ
森は生きている
森は生きている



■ゴンドラの歌 詞・吉井勇  曲・中山晋平 編曲:林光
(混声合唱のための「日本抒情歌曲集」より)

いのち短し 恋せよ少女(おとめ)
朱(あか)き唇 褪せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを


作詞:福田善之 / 作曲:林 光

映画音楽家の林光さんといえば「第五福竜丸」「裸の島」など新藤兼人監督や「秋津温泉」が代表作になるのかしら。映画音楽家としての林光をはじめて知ったのは私の場合この映画でした。映画自体も私のオールタイムベストです。


織田信長のうたいけり
人間わずか五十年
夢まぼろしのごとくなり
かどうだかしっちゃあいないけど
やりてえことをやりてえな
てんでかっこよく死にてえな
人間わずか五十年
てんでかっこよく死にてえな




BY cottonkyaori

あばちゃばする叔母



 叔母のハードな方言を聞くと胸がしめつけられる。

新小岩で暮らす叔母は明後日60歳になる。高校を卒業してすぐにふるさと山梨を離れ、かれこれ40年以上もの時間を東京でずっと一人暮らしをつづけている。見合いは数えきれないほどしたという。叔母と結婚したいという人もそれは多かったという。

しかし22歳頃、ある男性と出会ってしまったことで、30歳の時に結婚をあきらめ、ずっと独り身を通してきた。

仕事はずっと電話交換手をしている。
大変流暢な日本語を美声で操るプロであるが、妹である私の母や私といるときだけは、一転してかなり重度の山梨の方言の話者となり、同じふるさとの母ですら聞き取れないほど特異な方言をよくつかう。
「あばちゃばしちゃった」「今日ほげえさま寒いずら」など謎の言葉をさらりと使うたび笑い転げる。

(「あばちゃば」というのは“慌てふためく”の意。「ほげえさま」は“すごく”の意。)

山梨はそこまで特徴ある言葉使いをするものかと思うが、あまり他の親戚と会う機会がないので真相はわからないが、少なくとも彼女の5つ下であるわたしの母がそんなにハードな方言を話すことはないし、母ですら叔母の方言に笑い転げているのだからかなり特殊なのだろう。

土着的なものを嫌い、学校を卒業すると東京の会社に就職し、一度その会社を辞めて実家に戻ってからもすぐにまた東京で別の会社に職をみつけて、決して田舎に暮らすことはしなかった叔母。

祖父母も十年以上前にすでに他界し、4人兄弟のうち2番目の兄が40代で死去し、いまはもう一番上のお兄さんと妹であるうちの母くらいが親類縁者である。自身の家族もつくらずに生きてきた叔母は、ふるさととはほとんど接点のない生活をしているが、私たち母子といるときだけ、どうも新種のバイリンガルのようにコロリと土着の言葉を話しだすのは一体どういう心のもちようなのだろうかとふと思う。仕事柄聞き取りやすく美しく正しい日本語を使いつづけている反動がそうさせるのだろうか。

母によると叔母は子供時代から自分のことよりも、なにより家のことや家族のことを優先させて行動する子供で、母親の家事を手伝うために自分が好きだったオルガンクラブをやめてしまうような少女だったとゆう。長女ゆえ悲しいくらい責任感が強かったときく。末っ子で甘やかされて育ったうちの母は学校でいじめられることが多く、そういう時には箒をもっていじめっこのところへ殴りこんでいく勇敢すぎる気風をもっていた。

両親にしつけとしてそこまで強要されていたのかといえば決してそうではなく、「家族は私が守らなければ!」という心づもりがそうした行動を支えていたのだと思うのだけれど、そこまで彼女に思い込ませていたものはなんだったのだろう。

しかしそうした家族意識の強い叔母が、自分の家族をついぞつくらなかったというのは不思議な巡りあわせだと思う。40年以上ひとりで東京に生活し続けている叔母にとって、唯一ふるさととの接点をつなぐ存在はもはや私たち母子だけであり、そんな私たちに会うときだけ、もはや失われてしまった家族への絆を感じずにはいられないのだろうし、どうしても土地の言葉が自然と出てしまうのだろうか。そんな風にして叔母の方言をきくと、面白くて笑いながらもどこかさみしいような、切ない気持ちが沸き起こってしまうのです。
でもわたしがそんな風に勝手に感傷的になっていることも、本人としてはみじんも感じていないのでしょう。たとえ結婚をしてこどもを産む人生であっても、そうでなかったほうの道を思って憧れたりするのでしょうよ、人間ってやつあ贅沢なもんで。きっと生きているうちの特権ね。


明日はそんな叔母の60歳(還暦)を、手製の赤飯で祝うことにしました。lilmagで入手した川島あぐりさんのパッチ”GIRLS BE POETIC & DIRTY(少女よ、詩的で美しくあれ)”を添えて。


ところで、方言・訛りといえばこんなふうに悩んでいる方もいらっしゃいました。

わたしもこんな中学生でした。授業で教わることがちっともピンとこずひらすら遠い出来事のようでした。教科書に載っていることや、それ以外の、大人たちがあーだのこーだのいって話題にしていることが、実感を伴って感じられる日が遅かれ早かれきっといつか彼女にも来るのでしょうね。今はまだ夢の中。


東京都・ZESTくんからのおたよりです!
ヤッホー!コットンかおじゃ。
先日のかわいい分福茶釜のおGちゃん(前々回のブログをごらんあそばせ!)の画像をみたグラフィティライターのZESTくん。
自分もこんなおGちゃんになれますように・・・。と願いをこめて、こんな未来予想図が送られてまいりました!

じゃんっ!



おGちゃんの前に山積みになっていた、みかんたちがZESTくんの相棒・スプレー缶にすりかわっとるではあーりませんか!

し・か・も!

おGちゃんたら、よーくみるとほっぺたの一箇所が、めちゃめちゃ光り輝いているではあーりませんか!(写真をクリックすると拡大するヨ★)
目の前のスプレー缶で町のそこここにいたずらしたくって、したくって。それを思うともはやよだれを我慢できなかったのでしょうね。
きっと尊い光です。


そ・し・て!


ZESTくんから他にもこんなものが届きました。
題して「C子を探せっ!!!!」
わかるかなぁ??? う〜ん、激ムズッ!!




本家はこちら!「ナンチャンを探せ!」
なつかしすぎる。


C子ったら、ギャグレベル高すぎッ!!!!


TAROの寵愛まで!!
おそるべきC子のポテンシャル。
ラメ子もうかうかしてられないぞーーー☆


ラメ子「呼んだァ〜〜?」


ばぁーーーーーん!!!


ギャーーーー!!!!! 
バカ殿トランスフォーーーーム・ラメ子ーーーーッ(by ZESTくん)


そしてそして、
さらにZESTくんからこんな写真も!

太陽の塔でピクニック♪ by ラメコ☆彡


今年もあとわずかだけど、こんなプププをよろしくね!



ZESTくんと、親愛なるみなさまに
敬意をこめまして、へこき嫁ごの屁をお届けっ
2012年、といわずもっと先の200012年の世界へ、みんな軽やかに飛んでいけ〜♪、ってね。
みなさん、一緒に未知なる方へまいりましょう。


いっちゃぽーんと、さけた


cottonkyao