叔母のハードな方言を聞くと胸がしめつけられる。
新小岩で暮らす叔母は明後日60歳になる。高校を卒業してすぐにふるさと山梨を離れ、かれこれ40年以上もの時間を東京でずっと一人暮らしをつづけている。見合いは数えきれないほどしたという。叔母と結婚したいという人もそれは多かったという。
しかし22歳頃、ある男性と出会ってしまったことで、30歳の時に結婚をあきらめ、ずっと独り身を通してきた。
仕事はずっと電話交換手をしている。
大変流暢な日本語を美声で操るプロであるが、妹である私の母や私といるときだけは、一転してかなり重度の山梨の方言の話者となり、同じふるさとの母ですら聞き取れないほど特異な方言をよくつかう。
「あばちゃばしちゃった」「今日ほげえさま寒いずら」など謎の言葉をさらりと使うたび笑い転げる。
(「あばちゃば」というのは“慌てふためく”の意。「ほげえさま」は“すごく”の意。)
山梨はそこまで特徴ある言葉使いをするものかと思うが、あまり他の親戚と会う機会がないので真相はわからないが、少なくとも彼女の5つ下であるわたしの母がそんなにハードな方言を話すことはないし、母ですら叔母の方言に笑い転げているのだからかなり特殊なのだろう。
土着的なものを嫌い、学校を卒業すると東京の会社に就職し、一度その会社を辞めて実家に戻ってからもすぐにまた東京で別の会社に職をみつけて、決して田舎に暮らすことはしなかった叔母。
祖父母も十年以上前にすでに他界し、4人兄弟のうち2番目の兄が40代で死去し、いまはもう一番上のお兄さんと妹であるうちの母くらいが親類縁者である。自身の家族もつくらずに生きてきた叔母は、ふるさととはほとんど接点のない生活をしているが、私たち母子といるときだけ、どうも新種のバイリンガルのようにコロリと土着の言葉を話しだすのは一体どういう心のもちようなのだろうかとふと思う。仕事柄聞き取りやすく美しく正しい日本語を使いつづけている反動がそうさせるのだろうか。
母によると叔母は子供時代から自分のことよりも、なにより家のことや家族のことを優先させて行動する子供で、母親の家事を手伝うために自分が好きだったオルガンクラブをやめてしまうような少女だったとゆう。長女ゆえ悲しいくらい責任感が強かったときく。末っ子で甘やかされて育ったうちの母は学校でいじめられることが多く、そういう時には箒をもっていじめっこのところへ殴りこんでいく勇敢すぎる気風をもっていた。
両親にしつけとしてそこまで強要されていたのかといえば決してそうではなく、「家族は私が守らなければ!」という心づもりがそうした行動を支えていたのだと思うのだけれど、そこまで彼女に思い込ませていたものはなんだったのだろう。
しかしそうした家族意識の強い叔母が、自分の家族をついぞつくらなかったというのは不思議な巡りあわせだと思う。40年以上ひとりで東京に生活し続けている叔母にとって、唯一ふるさととの接点をつなぐ存在はもはや私たち母子だけであり、そんな私たちに会うときだけ、もはや失われてしまった家族への絆を感じずにはいられないのだろうし、どうしても土地の言葉が自然と出てしまうのだろうか。そんな風にして叔母の方言をきくと、面白くて笑いながらもどこかさみしいような、切ない気持ちが沸き起こってしまうのです。
でもわたしがそんな風に勝手に感傷的になっていることも、本人としてはみじんも感じていないのでしょう。たとえ結婚をしてこどもを産む人生であっても、そうでなかったほうの道を思って憧れたりするのでしょうよ、人間ってやつあ贅沢なもんで。きっと生きているうちの特権ね。
ところで、方言・訛りといえばこんなふうに悩んでいる方もいらっしゃいました。↓
わたしもこんな中学生でした。授業で教わることがちっともピンとこずひらすら遠い出来事のようでした。教科書に載っていることや、それ以外の、大人たちがあーだのこーだのいって話題にしていることが、実感を伴って感じられる日が遅かれ早かれきっといつか彼女にも来るのでしょうね。今はまだ夢の中。